8回目の3.11に思うこと

今日は3月11日だ。震災から数えて8回目。昨晩から降っていた雨は、14:46が近づくとピタッと止んでいた。あの日と同じような曇天模様だな、とふと思う。

 

f:id:watax7710:20190311174543j:image

 

 

 

テレビをつける。”あの日を忘れない”みたいなテーマで、「今年も」報道特集が組まれている。

 

 

 

 

毎年毎年ご丁寧に。さも3.11に思い出したかのように報道するんじゃなくて、毎日報じろよ、芸能人のゴシップネタの時間削って。

 

 

 

 

そんなことを心の中で毒づく。でもそれは「3.11」のことだからそう思うんであって、沖縄の米軍基地問題では沖縄の人が僕と同じことを思っているのかもしれない。きっとそうだろう。人間の思いはどうしても主観から形成されるから仕方ないと思う。

 

 

 

f:id:watax7710:20190311174523j:image

 

 

あの日小学生だった僕は、大学生になった。

 

 

 

ひとつ、震災で忘れられないエピソードを紹介しようと思う。

 

 

 

 

それは震災後、最初の夏休み明けだった。「夏休みの思い出を描きましょう」という図工の授業。僕の親友が、福島の自然を書いた。青々ととした森、どこまでも流れていきそうな川。ちょうど下の写真みたいな感じだった。そして彼の作品には、こんな題名が付けられていた。

 

 

f:id:watax7710:20190311173142j:image

 

 

 

「げんぱつがよごしたふくしまのしぜん

 

 

 

 

思い返せば、震災が子供たちの心に残した深いキズを、ストレートに形にしたものだったのかもしれない。当時僕たちは、みんながマスクを付けて登校していたし、体育の授業前には放射線量を測定していた。そして、各家庭には事故当時に配布されたヨウ素剤があった。

 

 

f:id:watax7710:20190311175734j:image

 

 

以前もブログに書いたけれど、僕たちは伝え続ける義務がある。小学五年生だった僕らは、何を見て、どう感じていたのか。10円の支援になるから、Yahooで「3.11」と検索する。それも立派なことだ。でも、もっと大切なのは、周りの友達に、先輩や後輩に、そして大人たちに当時の状況と、現在の福島をきちんと発信することだ。避難区域が徐々に狭まっていること、福島のコメは全袋検査されているから安全なこと。福島出身の僕らが「当たり前」と思っていることの多くは、関東では全然知られていないことが多い。

 

 

 

 

 

話が飛んで戻るが、今日公共の電波に乗って放映されている報道特集に対して、僕が違和感を抱くのは、テレビ局側の歪んだ姿勢が見え隠れするからだ。

 

 

 

 

 

「被災者に対する同情」

「これを伝えればいいんでしょ」

 

 

 

 

画面に映し出される方々には、1ミリも罪はない。実際に未だ苦労している人たちはいるし、震災関連死が問題になっているのも事実だ。でも、マスメディアが彼らを過剰に 「可哀想」 と思わせていないか。そう受け取られるように作っている気がしてならない。そんな薄っぺらいマスメディアの姿勢が、透けて見えて嫌いだ。

 

 

 

 

 

 

これは、僕自身の偏見で、曲がった捉え方かもしれない。だから、皆さんは周りにいる東北三県出身の人に、震災の話を聞いてみてください。テレビでは報道されていない真実が、きっとそこにあります。