もれなく春Spring

春が開放感と虚無感を伴うのはなぜか。期待と不安も運んでくるのはなぜか。そもそもどうしてこの世は二項対立で形成されているのか。なぜ桜は人々が待ち望んだタイミングで咲いて、もう少し待ってよという短さで葉桜になるのか。冬と春の境界線はどこに引くべきか。

 

 

 

 

 

春だ。疑いようもなく。

 

 

 

 

 

 

暖かくなると4月病に苛まれて、おかげで無駄な出費に精が出る。枕元に渦高く積まれた本。TOEICの参考書。全部できる気がした。毎朝早めに起きてランニングもできると思ったし、筋トレも毎日30分ならできると信じて疑わなかった。自分には、少しばかりの期待をかけて生きていたかったからで、それ以上でもそれ以下でもない。

 

 

 

 

 

 

 

理想と現実、その二項対立はこの世で最も美しく、同時に最も残酷な対比だ。気温の変化と共に全身に注ぎ込まれていたやる気は、春一番が吹く前に跡形もなく消え去る。理想が牙を剥き、あらゆる目標が、現実をまざまざと突き付ける無用の長物に変貌するのは、やる気が消え去ったその瞬間からだ。僕らにできる、せめてもの抵抗は、幾つかしかない。無用の長物をクローゼットの奥にしまい込む。春だからって調子に乗るんじゃなかった、いや間違いないよと笑い飛ばす。自分にも他人にも期待をかけずフラットに生きる、忘れたいことは全部なかったことにして飄々と口笛を吹く。嫌なこともスト缶もレッドブルも全部ロックアイスの中にぶち込んで飲みほしてしまう。

 

 

 

 

去年も同じように浮かれて、同じように現実に叩きつけられた。そして、春だからって調子に乗るんじゃなかった、いや間違いないと笑い飛ばした。自分にも他人にも期待しないで生きようと思った。それなのに、今年もまた同じことを繰り返している。

 

 

 

 

 

教習所でやらされた適性検査では嘘をついた。夜中なら制限速度をオーバーしてもいいと思っていたし、赤信号でも車が来なければ横断歩道を渡って今まで育ってきた。全部逆の答えを書き込んだ適性検査は3-Cで、「安全運転タイプ」らしい。でも高速道路を100キロで走っているとき、僕は足1本で動かせる殺人装置を手に入れた気がして怖くなっていたし、でも同時に少しだけアクセルを踏み込んだ。ペーパーテストで人間を測ろうとする安直さが身に染みた。僕にもう少しだけ、教師と親の顔色を伺うセンスがあれば、適性検査は5-Aの最高ランクで返ってきていたのかもしれない。

 

 

 

 

まもなく4月だ。間違いない。去年と同じ虚無感に襲われる。間違いない。

 

 

 

 

 

 

飽きるまでは無為自然に生きてみる。間違っているかもしれない。それでもいいのは、紛れもなく、春だからだ。