マジSNSで消耗すんの辞めようぜ

まもなく平成が終わる。令和が始まる。文化的観点から考えた、昭和と平成の、最大の違いはインターネットがあるかないかだろう。公衆電話はスマホに変わり、地図帳はGoogleMAPになった。写真屋で現像していた写真はInstagramへ、手紙で伝えていた言葉はLINEへ。

 

 

 

今や、ポケットにスマホが入っていることは、常時世界と繋がっている事と同義だ。

 

 

 

 

テクノロジーの進歩は凄まじいと思う一方で、僕らは本当にテクノロジーを使えているのだろうか。スマホを使っているつもりが、いつの間にか「使われて」はいないか。

 

 

 

 

そんなの自分じゃわかんねえよって?

 

 

 

 

 

いや大学生結構みんなそうだよ。どこか行って楽しかったから載せるんじゃなくて、載せたいからどこか行く。感性のままに写真を撮るんじゃなくて、「映え」のために撮る。目的と手段が逆転してんだよそれ。

 

 

 

本当に大切なのは、周りから見て「楽しそう」「いいなあ羨ましいなあ」「イケてるなあ」って思われることなんか?それならそれでいいと思うけど、後から振り返って気づくぜ。当の本人だけには分かる、感覚的に、他人からの見てくれだけ気にした日々はクソ薄っぺらいなって。もしくは「そのことにすら」気づけない。SNSのおかげで感性狂っちゃってるんだろう。いやまあ、別に否定する気はなくて、それも1つの生き方かなっては思うけどね…

 

 

 

 

思い出は残したいから、記録するのはいいことだと思う。でも「思い出作り」に奔走するのは違うだろ、と個人的には思っちゃうんだよね。本当に記憶に残るのは、ゴリゴリに決めて加工した自撮りでも映えを狙って行ったカフェでもない。きっとコンビニで買ったおでん持って公園で食って3時間駄弁ってたみたいな一瞬で、なんとなく逃した終電で、先輩の吸っていたタバコから漂うマルボロの臭いで、そういうふとした、飾らない一幕が本当にエモいわけで。ああまあ、人間の感覚なんて多種多様だから前者2つが思い出だよ!って人もいるだろうし押し付けようとかじゃない。あくまで一意見だからとりあえず怒らないでほしい。

 

 

 

 

 

 

で、だから要するに、SNSで「あの子いいな」「私(僕)なんて…」みたいにネガティブになって消耗しちゃってる大学生は捉え方変えて欲しいなって思う。

 

 

 

 

 

本当に大切なものは、スマホじゃ写せない。

 

 

 

 

日本人の悪いとこ如実に出てるからね、大学生って。自由ゆえに周りに縛られて、結局自分がやりたい事は何か考えないまま、日和って終わり。マジでしょうもねえよ。個性的な奴らは「変だから」「キモくね?」で括って、多数派でいることに、周りと変わらないことに安心するだけ。個性的であろうとポーズ取ってるのに結果的に無個性なの滑稽でしかないよ。

 

 

 

 

 

出る杭は打たれるって言葉がある。自分もブログ始めたとき散々ネタにされてバカにされたし、カメラのときも同じだった。金髪でゼミの面接受けに行った時もお前常識ないんか?って言われた。それでも今はなんとも言われないし、結局のところ、自分の軸持ってるのが一番強い気がしてきた、出過ぎた杭は打たれない的な感じで。いや、じゃあお前は出過ぎた杭なんか??個性的なんか??日和ることないんだな??って聞かれたらそんなの知らねえけど、少なくとも「お前キモくね?変じゃね?おかしくね?」みたいな類の、言葉のナイフで幾度となくブスブス刺されてきたから外れ値みたいな奴を排除する感覚は弱いかなと思う。

 

 

 

 

 

まぁとにかく、マジSNSで消耗すんの辞めようぜ、勿体ない。自分の好きなことしてれば、なんか運の流れ来てちゃんと回り出すし、それやって許されるのが我々の身分で、若さの特権でしょ。