無思考の無自覚が1番ヤバい
まず、この表を見て欲しい。有名なものだから、見たことある人もいるかと思う。
僕らは今、大学生という身分だ。世間一般的には、「一番遊べる」「人生の夏休み」と形容される、最高に自由な身分だ。僕も、周りの友人たちも、思い思いの形で大学生という若さを謳歌している。
でもちょっと待って欲しい。たしかに僕らは自由だし、遊び呆けることは可能だ。何も考えず、ただ漫然と日々を過ごせる、立場上は。
でも、本当にそれ「だけ」で良いんだろうか。
4年間という時間を自由であることに依存し続けていいのだろうか。アタマを使わないまま過ごしていいのだろうか。
僕はそんな時間の使い方に懐疑的だし、反対だ。こうして言い切るのはなぜか。理由はただ一つ。
「考えない人間は、高校生からほぼ成長しないまま存在し続け、社会に出ることになるから」
考えない人間なんて存在しない?存在するんだよそれが。しかも、割とたくさん。というか、日和見主義的な考え方で動いてる人、基本的に考えてないよ。座右の銘が「流れに身を任せる」の奴とか、それ思考と意思を放棄してるだけだからな。
まず「考える」ってのは、脳みそが指令を出して体を動かすことじゃない。ここで言う「考える」は、自分の行動の軸をきちんと持っているか、否か。そして、常に自分をアップデートし、己と対話してるか、否かだ。
例えば、
・自分は今、何を重視して生きているのか
・自分は今、何を目的に行動しているのか
・自分は将来、どうなりたいか模索しているか
・そのために、何をしているか、または何をしたか
・自分は何が好きなのか
・自分にはどんな長所、短所があるのか
少し抽象的でも、こういう考え方を日々していないと、毎日自分の内面には何の変化もなく時間は過ぎていくと思う。それは表面上、生活が楽しく充実していても、だ。
ここで冒頭の表に戻る。
知っているor知らない、の文言を「考えているor考えていない」に変えてみよう。
右下は、「考えていないことを認識していない」だ。
めちゃめちゃヤバい。ただ惰性で大学へ行き、バイトをして、友達と遊ぶ、恋人とデートする。考えていないから、物事は場当たり的で具体的にしか見えない。起きた出来事を抽象的に考え、そこから何が学べるのかは永遠に見えないままだ。
そして、その事実にさえ、気づいていない。
そうやって生きていると、1年前の自分とほぼ同じ考え方のままだ。そして来年も再来年もver.1.0のまま気づけば就活・卒業を迎える。
そのことには気づいていない、いや気づけない。
毎日アタマを使って生きよう。自分をアップデートしながら生きよう。そうしないと、きっと将来的に薄っぺらい人間になってしまう。僕は大人が言う「社会」ってやつがどんなもんか知らないけれど、なあなあで生きていけるほど甘くないんじゃないかって予測を立てているから、自己アップデートくらいしなきゃいけないんじゃないのって思う。
じゃあどうしたらいいか。そこから、「考える」は始まっている。