なぜ来賓挨拶は長いのか
卒業式と入学式に必ずついてまわるのが、来賓挨拶だ。だいたいの場合において、白髪のおじさんが出てきて長々と喋る、あれだ。
僕は小学校の頃から来賓挨拶が好きじゃなくて、いつもどうやってあの時間を潰すか、そればっかり考えて式に臨んでいた。中高に至っては、もはや一刻も早く眠りに落ちて一瞬で挨拶が終わった錯覚を起こすことに命を懸けていた。
さて、そもそも論として、なぜ来賓挨拶は長いんだろうか。理由と打開策を考えた。
- 長ければいいという日本の悪しき慣習
- 短くできない、大人の事情
- 短くするためには???
1. 長ければいいという日本の悪しき慣習
僕は、我慢とか根性論が好きじゃないんだけど、まあそれは横に置いといて。長々とした挨拶は、結局のところ何か伝えたい内容があるわけじゃなくて、形式を重視した結果だとおもう。だって考えてみてほしい。登壇するお偉いさんたちの話なんて、全部同じでしょ?校長先生もPTA会長もよくわかんないおじさんも。
「卒業おめでと。これからも楽しいこと辛いことあるかもだけど、ファイトやで!」
要約しちゃったらこれで終わりだ。内容なんてあったもんじゃない。40字以内で終わってしまう挨拶を、いかに引き伸ばすかが肝だ。手を替え品を替え、同じ内容を難しい言葉を使って言い換え、自然の変化とか時事ネタを例に挙げて、とにかく、一生懸命に、ダラダラ喋る。その結果、お偉いさんたちの間で「いい挨拶だった!」となるわけだ。日本の悪しき慣習だよね、こういうのって。本来大切な「内容」には目もくれず、とにかく型にはまった「形式」を重視する。ゆとり世代からするとたまったもんじゃないよね。
2. 短くできない、大人の事情
Twitterで流れてきた情報だから、信憑性は怪しいんだけど、こんな話があった。
ある教師が、来賓挨拶を5分以内にしませんかと提案したところ、校長に激怒された。「そんな失礼、先方に言えるはずがないだろ!」更には、「そんなに嫌なら代わりに挨拶してくれる人を連れてこい!」
大人って大変なんだなとつくづく思う。でも別に、短い=失礼 っていう論理はなんでなの???とは同時に思うよね。別に講演会を5分で終わらせて!って頼むわけじゃないし。卒業式や入学式に際して、本当に伝えたいことを5分にまとめるとか、お偉いさんたちのスキルにかかれば余裕でしょ、それすらできないなんて、そんなまさか、いや、中学校の生徒会長じゃないんだから。
3. どうすれば短くなる?
さあ、好き勝手文句を垂れた以上、ちゃんと打開策を示さないといけない。そんなの無理だよとは言わせない。我々大学生も使っている、あれを使えって話。
そう、PowerPoint。
本来挨拶で最も大切なのは「なにを卒業生or入学者たちに伝えるか」であるわけだ。それを単純化し、図表を使い、わかりやすく示せるのが、PowerPointだ。そして登壇した来賓は、スティーブ・ジョブズさながらにプレゼンを行う、例えばこんなふうに。
実に合理的だ。当然ながら、冒頭にある、時候の挨拶もステージを歩き回りながらする。
「こんにちは卒業生の皆さん。最近どんどん暖かくなっているね。季節の変わり目ってのは、体調を崩しやすいから、気をつけるんだよ…さて本題だ…」
これなら要点が整理されている、5分~10分程度の挨拶で済むだろう。生徒側も5分くらいなら真面目に話を聞けるし、お偉いさんもちゃんと話を聞いてもらえてハッピーだ。win-winとは正にこのこと…
そんなわけでハチャメチャな持論を展開してきたんだけど、皮肉なことに、このブログは1600字を超えている。真っ先にパワポを用いるべきなのは、来賓挨拶で登壇してくるお偉いさんじゃなくて、僕のほうなのかもしれない。