父を尊敬した日
思考を停止したまま、バスに揺られていた。昨日の8時間近くに及ぶテスト勉強の反動で、脳が動かなかった。ちゃんと授業出ていればよかったのだけど、あいにくミクロ経済学は出席した回数が5本の指で数えられるくらいしか行ったことがなかった。脳みそのパフォーマンスは間違いなく普段の20%以下。今日は二項定理を聞かれたけれど、ちぐはぐな説明をしてしまった。少年よ、ごめん。
LAWSONめじろ台駅前店の店員さんは今日も同じだった。相変わらず寒い夜。Instagramを開くと、友達のストーリーが目に映る。
応援してくれる先輩も、先生も、全員大学生の時はゴミクズです。明日決まるのは、地方のゴミクズになるか、東京のゴミクズになるかだけです。
(中略)
明日で人生決まるとかじゃないです。応援してます。
ああそうか、明日はセンター試験初日かと思い出す。彼が放った言葉には寸分のウソもない、透明な事実だった。実際彼も地方で、ゴミクズとして元気にやっているし、僕も東京で元気に堕落している。
一年前のセンター試験のことは、未だ鮮明に覚えている。白い息。カイロを配る予備校関係者。やたら長い休み時間。真正面の時計。どこか浮ついた空気感。鉛筆と紙が擦れる音…
一番記憶に残っているのは、初日、車を降りる直前に父が僕にかけた言葉。
父と僕が乗った車は、会場のいわき明星大にかなり早く着いていて、15分くらい時間を潰してからドアを開けた。
「じゃ、そろそろ行くね」
「ああ、いつも通りやってこい」
よくいつも通りだなんて、そんな冷静な言葉で送り出せるなと思った。
父は放任主義で、高校の頃、成績や勉強についてほぼなにも言われたことはなかった。それでも、模試で偏差値68.9を取ったときは、お父さんこんな数字見たことないぞとか言って嬉しそうにしてたし、一橋模試でD判定だったときは、まあ粘り強くやれよと、それとなくフォローもしてくれた。父は直接的な言葉でなにか言ってくることはなかったが、期待も心配もかけてたことは、高校生ながら重々わかっていた。
大学入試センター試験という、自分の息子の進路の分かれ道、大袈裟に言えば人生の分かれ道となるかもしれない、そんな日にまで、父は自分の感情を露骨に表さなかった。
そこまで察した段階で、僕は泣きそうになった。父親を、初めて男として尊敬した瞬間だった。
試験場に向かう僕の横を、父の車が通り過ぎていった。そのサイドミラーに、冬の朝日が綺麗に乱反射して輝いていた。