ざっと349

気づいたら、2月になっていた。

 

 

 

そんなことは断じてないし、1日24時間、86400秒の繰り返しの結果なんだけど、必ずしも論理と体感が一致するわけではない。なんてったって人間は感情の動物だからだ。

 

 

 

 

何はともあれ大学1年生という1セットが終わりに差し掛かり、思うことは色々あった。記憶はおかしなもので、必ずしも「一般的な強印象」が残るわけじゃないみたいだ。上京したての3月の23時、慌てて京王線を降りたら千歳烏山だったとか、そんな他愛のない一瞬が見事に切り取られて覚えてたりする。

 

 

 

 

いま僕はサークルに入ってるんだけれど、そこでの出会いがこの1年のターニングポイントだった。漠然と思う。

 

 

 

大学主催の新入生歓迎会みたいなイベントに恐る恐る出向いた僕。そこでたまたま出会った2人の先輩が、イケメンで優しくてとてつもなく輝いてみえた。

 

 

で、

 

 

「絶対この人たちがいるサークルに入ろう!!」

 

 

マジでリスキーだしほんと頭悪い決め方だった。他のサークルなんてほとんど見ずに一点突破なんて神風特攻隊みたいなもんだ。似て非なるものではあるけど、まあ似てる気がする。

 

 

 

 

そんな先輩たちと出会ってからもう1年。もうまもなく後輩が入ってくる、そんな時期に片足を突っ込んでいる。

 

 

 

信じられない、というより、incredible、のほうが合ってる。幽体離脱的というか、アタマでは分かってるけど心が追いついてないみたいな。

 

 

 

 

 

4月、瞳に映る大学の佇まいに、もはや新鮮さを感じることはないだろう。その代わりに、僕は去年見たような大学生の姿形をしているのだろうか。容姿のみならず、考えてることもそうだ。

 

 

 

 

ちゃんと自分なりの世界観を持った人間でありたい。自己とは相対的なものである、って誰かが言ってた。人間は周囲の5人との平均値に向かって変化する。誰かが言ってた。

 

 

でも相対は相手と同時に自分が存在しなきゃ成立し得ないし、周囲5人との平均値なら、6で割ってる。意志なき個人に価値なんて無いに等しい。そう思うから、「何食べたい?」って言われたらちゃんと答える、「飲みかカラオケどっちにする?」にも明確に答える。

 

 

 

「どっちでもいいや」は相対が総体に化して、5で割って平均値採ってるみたいなもんだ。この多様性社会、かつ大学生というこの状況おいて、どう生きるかは自由だ。でも、自由に縛られるパラドックスに陥るのはごめんだ。

 

 

 

 

春はもうすぐだ。朝晩の寒暖差がそう言ってる気がした。