程久保カーブ

松が谷の軌道下を歩く。多摩センターから大塚・帝京まで、もう慣れた道、慣れた坂だ。時は節分前日、午後は9時前だろう。頭上には、モノレールのライトが煌々と光り、さらにその上には、オリオン座が綺麗に輝いていた。

 

 

 

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初めてモノレールに乗ったその日のことを思い出した。こういうのって、無駄に鮮明に覚えてたりする。

 

 

 

立川南の改札を、慣れないSuicaでぎこちなく通った。時計は朝の10時前だったかな。車内は思っていたよりガラガラで、僕はすんなり席を獲得することができた。高幡不動程久保間のカーブに差し掛かった頃。まだ低い真冬の太陽が、僕の顔に容赦なく照りつけた。斜め前に座っていたのは、中大のラクロス部らしき学生。強烈な東京への羨望が全身を覆っていたのは、僕自身だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

今ではそのモノレール、目隠しされていてもどっちが多摩センター方面で、立川方面かわかるくらいには何度も乗った。便利な路線ではあるけど、10分に一本しか来ないし、遅いし、終電はスキャンダラスだ。

 

 

 

 

 

不満を挙げればポンポン出てくるけど、モノレール嫌いじゃない。モノレールだけじゃない。当時下見に来た中大のキャンパスの凛とした空気とか閑散とした雰囲気とか、空気の冷たさとか。ヒルトップ前からの景色も。その全てが見慣れない光景で。

 

 

 

 

結果論に違いないけど、なんとなくここに来るんじゃないかって直感が叫んでいた。

 

 

 

 

そして今、入試から1年が経った。365日前の自分なら想像もつかなかった状況に立たされている。ドラスティックな1年だった。一々説明するのめんどくさいからしないけど。180度、環境も身なりも考えてることも変わって、それでも毎日律儀に息して生きてる、みたいな感じ。

 

 

 

 

 

 

けったいなことだ。悩みがないわけじゃないけど、「大学行ったらたくさん遊ぶんだ」って息巻いてた当時の姿は、意外と当てはまってるのかもしれない。思考は行動となり、行動は習慣になる。やっぱり吉田松陰の言葉は正しかったんだなって適当に実感する。

 

 

 

 

大学生活も25%が消費されようとしている今。とりあえず、適当に今後どう生きていくかざっくり方針でも決めたい。そんな2ヶ月にしないと、最後落とした4単位が報われない気がする。

 

 

 

 

 

 

 

また来年、モノレールが「別の見え方」をしていたら、それは何かしらの成長なんじゃねえかと思う。きっと違うけど。たぶんそうだ。そういうことにしておこう。