大学生はリーガルハイを観よ

僕の大好きなドラマのひとつに、「リーガルハイ」 がある。これは、2012年からフジテレビ系で放送された、日本のテレビドラマシリーズだ。一応説明しておくと、訴訟で一度も負けたことがない敏腕弁護士・古美門研介と、真面目で正義感の強い新米弁護士・黛真知子の2人が繰り広げる、コメディタッチの法廷ドラマだ。

 

 

 

 

 

あくまでコメディタッチのドラマなので法学部生は「あんなの裁判じゃない!」とカチキレるかもしれないけど、とりあえず聞いてくれ。

 

 

 

 

 

あのドラマが伝えたいのは  「裁判」  じゃない。

 

 

 

 

現代によくある社会問題、ひいては 「人間問題」 への問題提起だ。たぶん当時リアルタイムで見てた僕らは、まだ中学生のクソガキだった。今もう一度見直すと、見え方が大きく違ってくるはずだ。公害問題、隣人間トラブル、恋愛憎悪劇。身近に起こるトラブルは、だいたい描かれてるから、昇華じゃなくて自分の半径の中に落とし込んで考えると、「生きるヒント」みたいなのが散りばめられている。

 

 

 

 

 

 

 

なかでも一番好きで、僕の座右の銘になっている古美門の言葉がある。

 

 

 

 

 

我儘で勝手でずるくて汚くて醜い底辺、それこそが人間だ。

だがそれでも、醜さを愛せ。

 

 

 

 

 

 

 

人間生きてりゃきっと誰しも、隠したい過去も触れられたくない失敗も、投げられたくない言葉も、劣等感も、自己否定感もある。

 

 

 

 

それこそが人間だと、古美門は言うわけだ。自らが正義で、自分が中心に世界は回ってると、そう考えて生きる人生もありだろう。でも考えてみりゃ、正義とか倫理観なんて、人それぞれの尺度で変わる流動的かつ抽象的な概念だし、本当に法律こそが正しいかなんて分からない。「悪法も法なり」っていう言葉が象徴してる。

 

 

 

 

だったらもう最初から、自分の醜さを全部受け入れればいい。他人と自分を比較して心の中でマウント取る自分とか、周りに非難されるような恋愛観とか、思想も感情も行動も全部だ。ゼロスタートなら、醜いが最初に来るなら、肩の余計な力が抜けて気が楽になると思う。

 

 

 

 

とりあえず嫌なことがあった日には、風呂入って好きなバンドの好きな曲聴いて、布団にくるまって泣いてそのまま忘れてしまえばいい。嫌なことをそうでもしないと消化し切れない弱さでさえも、人間の愚かさの一部に過ぎない。

 

 

 

 

完全無欠ならAIに任せればいい。弱さを見せないという、砂上の楼閣はきっといつか崩れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

醜さを、愛せ。