針がとれた羅針盤、狂ったコンパス

大学生活に正解なんてない。まして、人生に正解不正解なんてない。もっと言えば、限りなく最適解に近似した生き方なんてないのかもしれない。

 

 

 

 

18,19歳の若者は、きっとそれでも綺麗な正解を求めてしまう。自己評価とか自己分析とかやり方もよく分からないままに、心の片隅でどこかの誰かを全力で蹴りながら生きている。たぶんそう。

 

 

 

 

僕もそんなクズの一員だ。悪くない。マイノリティでも別に気にしないよと言いながらも、本当は内心ビクビクしていて、マジョリティならフッと安心感に苛まれる。大学という、今やほぼ全員にとって名ばかりの研究機関に属している我々は、大別して二極化する。

 

 

 

 

 

 

「大学を将来から逆算した時の踏み台にする者」

 

「大学をジャンプ台にして何者かに昇華しようとする者」

 

 

 

 

 

僕は、後者だ。ゼロベースから、自分が何が得意で何が好きなのか、それを探すために来た。

「ジャンプ台にして何者かに昇華」 とは、授業料にお金を投資して貰ったんじゃなく、4年間という「時間」そのものに投資して貰った感覚が強い者のこと。

 

 

 

 

針がとれた羅針盤か狂ったコンパスを携えて、そこにピッタリ付く針を探し、コンパスを正常に矯正するための時間。

 

 

 

 

とりあえず、ありきたりな後悔はしたくない。そう思って、思考を形として残しておくためにブログを始めたし、一瞬、刹那的な何かを切り取るために写真を撮る。寂しさだけで人に電話をかけるし、ご立派で尊敬できない大人たちの「有難いお説教」は右から左へ流す。衝動のままに本を買って読む。会って喋りたかったら約束して飲みに行くし、夜更かしもなんとなくでする。

 

 

 

 

 

針がないならないで、やりようによってどうとでもなった。狂っているなら狂っているなりに、突き進める。

 

 

 

 

 

GPAとか気にして生きてたら、高校までの偏差値教育からいつまでも抜け出せないで、画一的な判断基準しか持っていないまま、クソつまらない20歳になりそうで怖い。周りの目を気にして生きていたら、中央線の満員電車で押しつぶされたリュックと同じように、東京に呑み込まれて無くなる気がして嫌だった。

 

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こういう論理の関係ない、冗長な文章は、誰かに理解されたくて書いてるわけじゃない。いや、脳の端っこでは、誰か1人でもいいから理解してくれって叫んでるけど、理解されたくて書いてるわけじゃないと言い張らないとダメな気がしてる。タピオカ振ったストーリーも、画素越しでする乾杯のストーリーも、反吐が出るほど嫌いな日もある。絶対にナシなことは一周回ればアリという友達の言葉。支離滅裂過ぎるけど、とりあえず明日も息しとくかと思える。狂ったコンパスを握りしめて、今日も朝方6時過ぎに眠りにつく。20歳になったら、終電で友達と新宿か渋谷に行く。そしてスト缶を片手に、もう片方は煙草を持って、肩には一眼レフをかけて、一晩中夏の真夜中を徘徊する。このぐらいバカでイキってて痛くてどうしようもないことしたら、4年後後悔しないような気がする。いや、未来のこと考えてる時点で既に負けなのかもしれない。