これは言い訳なんだけれど

冒頭で何が言いたいかハッキリさせておこう。

 

 

 

 

 

「GPAでマウントをとる人間に、ろくな奴はいない」

 

 

 

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これは僕の持論であり、この論理の対偶にも反例は出てくる。要するに、偏見という粘土に固められたひとつの基準だ。いや、もちろん単位をきちんと取ることはとても大切だ。取らなきゃ卒業できないし…。まあ、この持論は完全に言い訳。最初に言ったので、誰も腹を立てる必要も義理もない。だってこれは言い訳。

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず、ちゃんと理由があるので聞いて欲しい。

 

 

 

 

 

大学生にもなって価値尺度が高校生と同じだから

 

 

 

「価値尺度が高校生と同じ」はどういうことか。たぶん読者の中で何人かはこの抽象度でもズバッと理解してくれると思う。きちんと具体性を持って説明する。

 

 

 

高校生まで、いや特に受験生は、自らが判断される基準が偏差値ってものだった。「大学入試」っていうひとつのフレームが戦場で、偏差値という数字がまるで自分という主格の価値を綺麗に反映してるような感覚に陥った。本気で勉強して、メンタル削りながら、それこそ命をすり減らして勉強してると、だんだん視野狭窄に陥るわけ。

 

 

 

 

そんな狭い世界観から脱するのは、大学に入ってから。高校→大学で最もドラスティックに変わるのはその自由度。一人暮らしなら特にそうだ。何時に帰ろうと誰と遊ぼうと、究極的には学校に行こうが行かまいが自由。そんな中で色んな人と出会い、場所へ行き、様々な世界を知る。勉強という尺度は、one of them でしかなかったと発見する。普通は。パレットがどんどんカラフルになっていく感じだね。

 

 

 

 

 

ところが、GPAで人を判断するタイプ。いつまで経ってもパレットには一色しか乗っていない。もしくは、パレットを染め上げるひとつの色が強すぎる。感性が鈍いというか、若者なのに保守的というか、一言で言うと「高校生延長!」みたいな。そういう人はたいてい漫然と、何も考えず講義に出て、テスト勉強とそのスコア以外に自らの優位性を示せない。他人に対して、「いや君俺よりGPA低いじゃん。」と一蹴してdisりまくって終わり。その人が持つ良さ、考え方、感性、世界観、全部無視。世の中はGPAこそが正義で、ヒーロー。そりゃつまらない。

 

 

 

 

 

 

恐ろしいほどの偏見だなと思った人も多いだろう。そう、偏見だ。偏見は、一人の人間の膨大な経験と感情でできている。合ってるか間違っているかは担保できないけど。

 

 

 

 

 

一人の人間の戯言を最後まで読んでくれてありがとうございました。これらは全て、後期10単位落としがほぼ確定しているダメ学生の自己正当化でお送りしました。GPAバンザイ。