愛せよ、世界 (No.016)

「あなたは今、幸せですか?」

 

 

 

宗教の謳い文句によくあるセリフ。僕はきっとこう答える。

 

 

 

「ああ、幸せだと思ってます。」

 

 

 

お金は足りないし、語学も既に一欠している。加えて、最近は天気が悪い。それでも、全然満ち足りている。

 

 

 

ちょっとだけ黒くて、重い話をしようと思う。

 

 

 

 

 

高校のとき、とある女の子に出会った。

 

 

 

 

彼女の口癖は、

 

 

 

 

「私、不幸だから。可哀想なの。」

 

 

 

 

よく分からなかった。

 

 

 

親や兄妹、友達がいて、毎日高校に行き、笑い合う。飢餓に苦しむこともなく、戦争で大切な人を失った過去もない。それでも不幸だと言う。

 

 

 

満ち足りた生活だ。健康的で文化的な最低限度の生活、いや、むしろ最高限度に近い生活。それでも不幸だと言う。

 

 

 

きっと大切なのは、幸せへの感性なんだろう。

 

 

 

この世界はクソかもしれない。

この世界はめんどくさいかもしれない。

この世界は嫌なことだらけかもしれない。

この世界は、汚いのかもしれない。

この世界は、不幸なのかもしれない。

 

 

 

それでも、僕達は生きている。

 

 

ある友達が言った。

 

 

「面白ければ、なんでもいいよ」

 

 

正しいと思う。

 

 

 

 

 

 

またある友達が言った。

 

 

 

「友達の好きなとこ見つけた方が、幸せやん?」

 

 

 

正しいと思う。

 

 

日本で、こうして元気に若者として生きている。それだけで充分満ち足りているし、幸か不幸かの議論に及ばない。インスタのいいねの数とかウェイか陰キャかなのかとか、よく考えれば現代のテクノロジーが生み出した空虚なまやかしに過ぎない。

 

 

1人の人間のキャパはほぼ一緒で、あなたが羨望し、嫉妬しているその相手も、きっと機会費用でなにかを失って生きているはずだ。例えばら落合陽一は睡眠時間を失っているし、前澤友作は一般人のレッテルをそれでもきっと彼らは幸せだろうし、私たちだってそうだ。

 

 

普段ふと口をついて出る「でも」「だって」「だから」を「それでも」に変える。それだけで身の回りの世界は、灰色の虹が7色の虹に見えてくる。

 

 

とある哲学者の言葉を引っ張ってくれば、所詮「人生はヒマつぶし」なのだ。同じキルタイムなら、楽しい方がいいに決まっている。

 

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愛せよ、世界。たとえ薄汚くとも。