"歴史"を学ぶべきワケ (No.011)
連日、各地の猛暑を伝えるニュースが流れている。どうやら今年の暑さは「災害」とまで言えるらしい。ひと昔前までは、東京の夏の平均気温は今より5℃以上低かったという。東京の熱帯化と、科学技術の進歩が共に進んでいて本当に良かった。今もしクーラーがなければ、熱中症で搬送される人数は倍では留まらなかっただろう。
今日はなにも、暑さについて長々と書こうとは思っていない。タイトルにもある通り、歴史がテーマだ。
なぜ歴史を学ぶのか。
もっと身近に落とし込むと、
なんでこんな辛い思いをして、(日本史や世界史の用語を)暗記しなきゃいけないの……
義務教育を受けてきた日本人なら、おそらく一度は抱いたことのある思いだろう。
こんな一過性の知識、必要ある?そもそも役に立たなくない?過去より未来のこと考えるべきじゃない?
自分もかつてはそんな風に考えていた。しかし、現在では全く違った価値観を持っている。
歴史は、絶対に学ばなければいけない。必須だ。
ここまで強く言い切るのには、確固たる理由がある。
1つ目は
歴史認識が、思想を形成する
という考え。
例えば、日本は戦時中、国民学校で愛国主義を全面に押し出した「歴史」を教えた。そして子供たちに「鬼畜米英」の精神が叩き込まれていった。また、アメリカでは現在でも、広島・長崎への原爆を肯定的に評価する風潮が一定数存在する。これも歴史教育が深く関わっているのは間違いないだろう。
つまり、私たちは無意識のうちに、学んだ知識がベースとなって様々な思想へ辿り着くのだ。
もっと身近に、ダイレクトな形で言い換えると、「歴史を学ぶと、現在の政治や経済の問題に対する見方が変わってくる」のだ。
これは世界史を学んだか、日本史を学んだかによっても変化してくると思う。世界史では「世界から見た日本」、要はマクロな視点が主だが、一方で日本史は「日本をベースにした世界との繋がり」、ミクロな視点がメインだ。同じ歴史ではあるが、大きな違いがあることは想像に難くない。逆に理想を言えば、日本史、世界史ともに両方学ぶことが望ましい、と僕は思う。
社会問題とまでは言えないが、如実に歴史への知見が試されるトピックに、第二次世界大戦がある。
きちんと歴史を学んでいない(であろう)人は、
あの戦争はたくさんの欧米諸国を敵に回した。勝てるはずがないのに戦った日本が悪い。
という支離滅裂な思考に走る場合がある。僕の考え方からしたら全くもって論理が破綻していて、正直幼稚園児かと疑うレベルのおよそ知識の欠如した歴史認識だ。大戦前の文脈を分かっていれば、第二次世界大戦は複雑で一概にどの国が悪いとは言えないことは明白なのだ。
先に書いたようなある一定レベルの知識量すら持たない思想を持っていると、何が悪影響として立ち現れるのか。
それは、「思考停止した極端な思想」である。これは、かつての連合赤軍であったり、現在ネット上に存在するアベノセイダーズ(ありとあらゆることを政権批判の理由に使う人、議員)を想像してもらえればイメージが湧くと思う。
現代から見ると連合赤軍の理論は破綻しているし、アベノセイダーズは度々冷ややかな視線を浴びる。1人の日本国民として恥ずかしくないレベルの知識は必然的に求められてくる。
2つ目は
未来を読むチカラが養われる
ことが理由だ。
例えば、今でも野党が1年以上にわたって、執拗に追及している「モリカケ問題」。マスメディアでは公文書の書き換えを「法治主義の崩壊」とまで言い、大騒ぎしているが、正直バカバカしい。吉田茂・佐藤栄作は造船疑獄(帝人事件)、田中角栄ならロッキード事件と、戦後の長期政権だけを切り取って考えても汚職はつきものであった。このことを鑑みれば、平成を代表する長期政権となった安倍政権にもある程度汚職が付いてくることは容易に予測がつく。
そうすれば、「ああ、歴史は繰り返すな。組織の腐敗が進行しているということは、内部の一新が必要な時期に来ているのかもしれない」くらいの冷静な分析はできるだろう。
一方で、安倍政権の経済政策は一定の成果を上げているため、このまま長期政権が続けばいいと手放しで称賛する人達に対しても、僕はいささか疑問を感じざるを得ない。
歴史的に見ても、経済は好況と不況を繰り返すものであり、それは世界恐慌、バブル景気、リーマンショックという、以上3つの例を取り上げて考えるだけでもよくわかる。それなのにも関わらず、今がいいから未来もずっといいに違いない、という考え方は安直かつ横暴と言わざるを得ない。今後、東京オリンピックが2020年に行われるが、それが終われば日本経済もまた停滞するということは、ある程度見識があれば予測できるだろう。
このように政権に対する評価一つとっても、未来を予測できるかできないかは、今後実際にその状況を迎えた時に「思考のベース」「冷静さ」という点で大きな差を生んでくると思う。その意味で、歴史をキッチリ学んでおくことはやはり重要になってくる。
以上が、僕が「歴史を学ぶべき」と主張する理由だ。度々、僕ら大学生のレポートは、「分かっていないことをあたかも分かっているかのように書く」などと形容されることがある。しかし、僕達は「分かっていること、理解していること」も着実に増やしていかなければいけないのではないだろうか。
P.S.
今度、落合陽一が提唱するデジタルネイチャーについてブログを書きたいなあ、と思ったが、僕では彼の言っていることは全く理解できず、諦めた。凄いから分からないのか、分からないから凄いのか。