今更すぎる春の実感(No.004)

  洗濯機回したの忘れてて、生乾きの洗濯物を1日放置してしまいました。蓋を開けたとき、生乾きの臭いが本当に臭かった。今日はなんだか小説みたいな文章になってしまいそう。

 

 

  先日、東大の五月祭に行ってきた。目的は、五月祭ではない。友達に会うために、である。

 

有楽町線を降り、地上へと出る階段を登り始めたあたりから、早くも人の熱気を感じた。大学構内に至っては満足に身動きが取れない状況だったので、飲み物だけ調達して三四郎池に逃れるように向かった。(下の写真が三四郎池。うまく大きく貼れてるのかしら)

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一緒に来ていた友達とどのくらいおしゃべりに興じていただろうか。

 

「よっ。」

 

3ヶ月前まで毎日聞いていた、懐かしい声がした。

 

 

彼と僕は約1年間、同じクラス、同じ塾に通い、ほとんど毎日(下手したら家族よりも)一緒にいて、隣同士で勉強していた。僕は彼に勝ったことなんて全くなかったが、お互いに励まし合って受験を乗り越えた、いわば「戦友」であった。

残念ながら僕は第一志望の大学には合格できず、別の大学に進学した。他方、彼は第一志望であった東京大学に晴れて合格した。彼の吉報を聞いた時、泣きそうになるくらい嬉しかったのを覚えている。

 

 

 

三四郎池には、その他にも何人かの同期が集まっていた。当然のように盛り上がる。

話したことといえば、授業サボり始めたとか、レポートがキツいとか、高校が懐かしいとか、そんな他愛ないことばかり。

 

同時にその時、僕の脳裏には別の感覚が想起されていた。

 

「春の実感」

という表現が一番ぴったりくる。

 

そんなノスタルジーというか安堵感というか、しみじみとした感覚である。

 

もはや初夏と言っても差し支えないこの季節に、何を言い出すんだコイツ気持ち悪い、と言った感想がほとんどだろう。

 

ただ、受験期に鬱になりかけた自分としては、5月に同期と会うなど、全く想像もつかなかった光景だった。しかしそれがいま現実にあって、純粋にとても嬉しかったのだ。

もちろん全員が最高の形で進学したわけでも、思い描いていた通りのキャンパスライフを送っている訳ではないと思う。それでも、人生におけるひとつの大きな壁を乗り越えた、という達成感や安堵感は、その場にいた同期の楽しそうな表情から感じ取れた。

 

また同時に、「いや、今日来てよかったな。やっぱりお家でニートしてるより、外に出るべきだな。」とも。(実は先週必修しか出てなかった)

 

夕暮れと共に安田講堂に背を向けて、正門をあとにするとき、なにか背中を押された気がした。明日の一限、頑張って出よう。

 

 

 

 

 

P.S.

今更ながら、又吉直樹「火花」読んでます。

あと、文章に成長が見られないな…